【東北大学】細胞性粘菌の走気性はミトコンドリアや酸化ストレスに依存しない 酸素を求めて動く細胞の未知の酸素応答機構の解明へ

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【発表のポイント】

  • 細胞性粘菌 (注 1)は低酸素環境下において動きを活性化させ、酸素を求めて遊走する性質(走気性)(注 2)を有します。
  • 既存の仮説に反し、ミトコンドリアや酸化ストレスは細胞性粘菌の走気性には関与しないことが明らかになりました。
  • 本研究成果は、全く未知の酸素応答機構の存在を示唆する重要な知見であり、将来的にはヒト細胞を含む真核細胞の生命現象の解明と予測につながるものと期待されます。

【概要】

酸素環境は多くの真核細胞の生命現象を左右し、生理学・病理学的な事象に深く関わっていますが、その機構は完全には解明されていません。

東北大学流体科学研究所の船本健一准教授、廣瀬理美氏(大学院医工学研究科博士後期課程修了生、現・マサチューセッツ工科大学博士研究員)、リヨン第 1 大学の Jean-Paul Rieu(ジャン・ポール リウ)教授、Christophe Anjard(クリストフ アンジャル)教授らの共同研究チームは、真核細胞のモデル生物である細胞性粘菌 Dictyostelium discoideum(和名:キイロタマホコリカビ)が、細胞周囲の酸素濃度勾配に応じて酸素が豊富な領域に向かって遊走すること(走気性)を発見し、その機構の解明に向けて研究を行ってきました。

従来の培養皿を用いた細胞実験方法に加え、任意の酸素環境と化学刺激環境を生成できるマイクロ流体デバイス (注 3)を用いた実験や、細胞の遊走の数理モデルを用いた解析により、細胞性粘菌の走気性は、誘引物質と考えられていた酸化ストレスや酸素代謝を担う細胞内小器官ミトコンドリアの働きに依存しない現象であることを明らかにしました。

これらの発見は、真核細胞の酸素応答における未知の機構の解明に向けた重要な知見であり、生命現象の解明と予測につながるものと期待されます。

本成果は、6 月 15 日付(現地時間)でオープンアクセス誌「Frontiers in Celland Developmental Biology」に掲載されました。

研究の背景

生体内の酸素濃度は、血液や外気から組織への分子拡散による酸素供給と、細胞の呼吸などによる酸素消費とのバランスで決定されます。このような酸素環境の変化は、生物の発生やがんの進行など様々な生命現象に深く関わっていると考えられていますが、細胞の酸素応答機構は完全には解明されていません。

本研究グループは、先行研究 (参考文献 1, 2)において、ヒトを含む真核細胞のモデル生物として広く研究されている細胞性粘菌 Dictyostelium discoideum が、低酸素環境下の酸素濃度勾配に応じ、酸素がより豊富な領域に向かって遊走することを発見しました。酸素に対するこのような細胞の走気性は、細菌などの原核生物についてはよく知られる生命現象ですが、細胞性粘菌をはじめとする真核生物についてはほとんど未知の現象でした。ヒトなどの哺乳動物細胞に備わっている酸素濃度センサーとしては、プロリン水酸化酵素とそれに制御される低酸素誘導因子の存在が広く知られています。一方で、細胞性粘菌の酸素濃度センサーとして決定的な役割を果たしているものは、まだ見つかっていません。細胞性粘菌に存在するプロリン水酸化酵素の遺伝子ファミリーPhyA は、主に常酸素環境で発現して分化や発生を制御することが報告されていますが、その遺伝子を欠損させた細胞性粘菌を用いた予備的な実験では、走気性への影響は確認できませんでした。

今回の取り組み

本研究では、細胞性粘菌の走気性に関する有力な仮説の一つであった「酸素環境に応じて生成される酸化ストレス勾配が細胞遊走を誘導する」という考えを立証する研究を実施しました。

細胞実験では培養皿上に置いた細胞性粘菌の凝集塊の上にカバーガラスを被せ、細胞の呼吸による酸素消費を利用して酸素濃度勾配を自己生成させて、細胞の集団的な遊走を観察する実験(閉じ込めスポットアッセイ)を行いました。また、酸素環境をより厳密に制御するため、マイクロ流体デバイスを用いて酸素濃度勾配を持続的に生成し、個々の細胞性粘菌の遊走を追跡することで、酸素環境に応じて変化する遊走速度を計測しました。(図 1)。これらの実験を、酸化ストレスを調節する試薬やミトコンドリアの機能を阻害する試薬を培養液に添加した条件下や、細胞性粘菌の標準株の他に、酸化ストレス調節因子として知られるフラボヘモグロビン遺伝子を欠損した細胞株を対象にして行いました。さらに、細胞性粘菌の遊走について、各細胞株の増殖率や酸素消費量の実験データに基づいて数理モデルを作成し、走気性を左右する因子について検討を行いました。

その結果、酸化ストレスは低酸素状態下では細胞毒性として強く作用する一方、既存の仮説に反し、走気性の誘導には関与しないことが明らかになりました。さらに一般的に細胞内で酸素はミトコンドリアにより代謝されますが、ミトコンドリアにおける電子伝達系またはアデノシン三リン酸(ATP)合成機能を阻害しても走気性は変化せず、走気性はミトコンドリアの働きにも非依存的であることが示されました。これは先行研究からは予測できなかった全く未知の酸素応答機構の存在を示唆する重要な知見です。

今後の展開

細胞性粘菌が示す酸素に誘導される遊走の分子生物学的機構を明らかにすることで、ヒト細胞を含む真核細胞に隠された未知の酸素応答機構の発見につながることが期待されます。今後、他の化学物質を添加した実験や、別の遺伝子欠損株に加え、ヒト細胞など異なる生物種の細胞を用いた実験により、走気性の誘導機構をさらに研究する予定です。

図 1. 実験と数理モデルによる細胞性粘菌の走気性の誘導機構の研究概要。

【謝辞】

本研究は、科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業 さきがけ「複雑な流動・輸送現象の解明・予測・制御に向けた新しい流体科学(研究総括:後藤晋)」における研究課題「間質環境の再現と制御による細胞動態の操作技術の創成(研究代表者:船本健一、JPMJPR22O8)」及び「次世代研究者挑戦的研究プログラム(JPMJSP2114)」、日本学術振興会の「若手研究者海外挑戦プログラム」、東北大学流体科学研究所の公募共同研究による支援を受けました。

【用語説明】

注1. 細胞性粘菌:和名キイロタマホコリカビ。アメーボゾアに属する真核生物で、土壌表層に生息する。単細胞のアメーバ細胞として増殖する時期と、集合して多細胞体を形成する時期を有する。その既知の遺伝子配列は生物学的に簡単でありながら、ヒト細胞の遺伝子とのオルソログ(共通祖先に由来する遺伝子)を有するとされる。細胞運動についてヒト白血球細胞との共通点も報告されており、有用なモデル生物として広く研究されている。

注2. 走気性:生物や細胞が何らかの刺激に対し、ある一定の方向性を有する挙動を示す性質を走性といい、特に、酸素に対して示す走性を走気性という。

注3. マイクロ流体デバイス:マイクロスケールの流路内で流体を制御するデバイス。シリコーン樹脂のポリジメチルシロキサン(PDMS)などを用いて作製されることが多い。近年、細胞実験への応用が盛んであり、生体内の臓器や器官の機能を模擬するチップ Organ-on-a-chip などが開発されている。

【参考文献】

1. Olivier Cochet-Escartin, Mete Demircigil, Satomi Hirose, Blandine Allais,Philippe Gonzalo, Ivan Mikaelian, Kenichi Funamoto, Christophe Anjard,Vincent Calvez, Jean-Paul Rieu, Hypoxia triggers collective aerotacticmigration in Dictyostelium discoideum, eLife, Vol. 10, (2021), e64731-1-34.DOI: 10.7554/eLife.64731

2. Satomi Hirose, Jean-Paul Rieu, Olivier Cochet-Escartin, Christophe Anjard,Kenichi Funamoto, The oxygen gradient in hypoxic conditions enhancesand guides Dictyostelium discoideum migration, Processes, Vol. 10, Issue2, (2022), 318-1-16. DOI: 10.3390/pr10020318

【論文情報】

タイトル:The aerotaxis of Dictyostelium discoideum is independent ofmitochondria, nitric oxide and oxidative stress

著者: Satomi Hirose*, Julie Hesnard, Nasser Ghazi, Damien Roussel, YannVoituron, Oliver Cochet-Escartin, Jean-Paul Rieu*, Christophe Anjard*, KenichiFunamoto*

*責任著者:東北大学流体科学研究所 准教授 船本健一

掲載誌:Frontiers in Cell and Developmental Biology

DOI:https://doi.org/10.3389/fcell.2023.1134011

URL: https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fcell.2023.1134011/abstract

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